去年の今日10月1日、友人の愛犬が亡くなりました。ご存知の方も多いと思いますが、富士丸といって、ペットブログで1位をつづけた誰からも愛された犬でした。そうか、あれからもう1年も経ったんだ。
マテ茶の話を書こうと思っていましたが、ちょっと脱線することをお許しください。富士丸の命日だもの、いいですよね。
「死」というものを考えるとき、僕はいつも高校の裏手にあった喫茶店を思い出します。「茶房 早稲田文庫」といって、なかなか味のある喫茶店でした。生意気盛りの高校生にとっては、必須アイテムでしたね。コーヒーを飲みながら純文学を読む。それだけで大人になった気分がしたものです(同時に、ショートホープの箱を思い出すのは、何故かしら?)。まあ、学校をさぼっては、よく通っていました。
その店の欄干には、見事な書が飾られていました。井伏鱒二の直筆によるもので、「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」と記されていたのでした。
この言葉は、人間の喪失感を実によく表していると、ニキビ面の男の子は思ったものでした。だから、たとえば、作家の高橋和己が死んだと知った翌日も、三島由紀夫が自決した翌日も、僕は「茶房」でこの書を眺めながら時間をつぶしたのでした。それが意味のあるものだったのかどうか、今でもわかりませんが、「死」とは「さよなら」ということだと認識しようとしたことは間違いありません。これも青春ですね。
なんだか、訳がわからない展開になってしまいましたが、昨年、富士丸の追悼文に、僕はこの詩を書いたのでした。その理由を説明しようとしたのですが、どうもうまくいきませんでした。ごめんなさい。ただ、富士丸に関しては、近々に報告することもありますので、こうご期待を。
マテ茶の話を書こうと思っていましたが、ちょっと脱線することをお許しください。富士丸の命日だもの、いいですよね。
「死」というものを考えるとき、僕はいつも高校の裏手にあった喫茶店を思い出します。「茶房 早稲田文庫」といって、なかなか味のある喫茶店でした。生意気盛りの高校生にとっては、必須アイテムでしたね。コーヒーを飲みながら純文学を読む。それだけで大人になった気分がしたものです(同時に、ショートホープの箱を思い出すのは、何故かしら?)。まあ、学校をさぼっては、よく通っていました。
その店の欄干には、見事な書が飾られていました。井伏鱒二の直筆によるもので、「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」と記されていたのでした。
この言葉は、人間の喪失感を実によく表していると、ニキビ面の男の子は思ったものでした。だから、たとえば、作家の高橋和己が死んだと知った翌日も、三島由紀夫が自決した翌日も、僕は「茶房」でこの書を眺めながら時間をつぶしたのでした。それが意味のあるものだったのかどうか、今でもわかりませんが、「死」とは「さよなら」ということだと認識しようとしたことは間違いありません。これも青春ですね。
なんだか、訳がわからない展開になってしまいましたが、昨年、富士丸の追悼文に、僕はこの詩を書いたのでした。その理由を説明しようとしたのですが、どうもうまくいきませんでした。ごめんなさい。ただ、富士丸に関しては、近々に報告することもありますので、こうご期待を。
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