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パラグアイ産オーガニックマテ茶の魅力を一人でも多くの人に伝えたい。そして日本中にマテ茶を広めたい。そう、私はマテ茶の伝道師です。
「東京特許許可局」ほどメジャーでもなければ難しくもない早口言葉に「神田鍛冶町かどの家具屋」というのがあります。昭和40年代までは神田駅の近くに、本当にこの看板がついたビルがあり、そのかどを曲がると小さな学校がありました。それが千代田区立今川中学で、埼玉県川口市から3年間僕はこの学校に通いました。少子化の影響で、統廃合する都心の小中学校が後を絶ちませんが、わが母校今川中学も数年前に廃校になりました。

学校の成績はかなりひどかったですね。5段階評価の通信簿には2と3しかなかったくらい。でも学校は大好きでした。神田の古本屋街は歩いても行けるところにあり、学校の帰りによく寄り道していました。年に何度かは、上野の鈴本演芸場に落語を聞きに行ったり、学生と機動隊が衝突したという翌日は、催涙弾の残り香(?)のあるお茶の水あたりを目をしょぼつかせて歩いたり、今から考えるとずいぶんませたガキでした。

高校は早稲田高校という男子校で、ませたガキは迷うことなく新聞部に入り、70年安保という妙に暑苦しい時代を「僕って何?」と自問自答しながら過ごしたのでした。

ふー、自分のことを書くのって、けっこう疲れますね。急に寒くなったので、今日は久しぶりに温かいマテ茶を飲みながら書いています。ということで、明日につづく。
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