今日は、マテ茶と英雄の話をしましょう。
一人目は、南米独立の父といわれるサン=マルティン将軍(1778年~1850年)。
アルゼンチン生まれの軍人で、ラテンアメリカ各国をスペインから独立させるために活躍した歴史上の人物です。今でもかの国では5アルゼンチンペソ紙幣の肖像画に採用されているほど人気があります。
このサン=マルティン将軍は、ペルーを解放するためにチリ経由のアンデス越えという壮大な作戦を立てました。しかし、標高6000メートル以上の山が連なるアンデス山脈を重装備で踏破することは、あまりに無謀すぎました。過労や栄養失調で、何人もの兵が倒れていきました。それでもサン=マルティン将軍はこの任務を完遂し、ペルーを解放へと導いたのでした。
その時、先陣を切って戦った部隊が携帯していたのがマテ茶だったのです。今でこそマテ茶は「飲むサラダ」といわれ、ビタミンやミネラルが豊富な機能性飲料であることは知られていますが、そのころはごく一部の部族の人たちしか飲んでいなかったようです。「マテ茶ってすげー!」とつぶやいたかどうかは定かではありませんが、ともあれ、その栄養的価値に注目したサン=マルティン将軍は、ブエノスアイレスに戻ると、マテ茶の栽培を提言したといわれています。それがアルゼンチンでマテ茶が栽培されるようになったきっかけです。サン=マルティン将軍は、南米独立の父であるだけでなく、マテ茶復興の父でもあったんですね。
さて、2人目は、エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(1928年~1967年)。一般にはチェ・ゲバラで通っているアルゼンチン生まれの革命家です。僕も学生時代にかなり傾倒しました。今でも覚えているかっこういい言葉がいくつもあります。
「革命においては、勝利か、さもなければ死しかないであろう」
「甘ったるいと思われるかもしれないが、言わせてほしい。本当の革命家は大いなる愛情に導かれている。愛のない革命家なんて、私には考えられない」
まあ、恰好いいんでありますよ。
ゲバラの写真はたくさん残されていて、そのファッションは世界の若者のあこがれでもありました。顎鬚にベレー帽をはじめ、時計はロレックス、カメラはニコン、葉巻はハバナ(キューバ)産のコイーバ。
「私は酒は飲まない。タバコは吸う。もっとも女を好きにならないくらいなら、男をやめる。だからといって、あるいはどんな理由であっても、革命家としての任務を最後までまっとうできないならば、私は革命家であることをやめるだろう」
意外なことに、ゲバラは酒をまったく飲みませんでした。そのかわり、愛飲していたのがマテ茶です。ボンビーリャを使ってマテ茶を飲むゲバラの写真も何点かあります。若かりし頃、もっとゲバラにのめり込んでいたなら、マテ茶まで体験していたかも。まあ、何十年もたって、こうしてマテ茶に出会ったわけですから、何か運命的なものをかんじます。
「もし、われわれが空想家のようだと言われるならば、救いがたい理想主義者だと言われるならば、出来もしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう。そのとおりだ、と」
久しぶりにゲバラのことを思い起こし、しみじみとするこんな春の宵は、酒ではなくマテ茶でも飲んで過ごそうか。もちろんフェデリコ・マテのピュアに限ります。